ロックとは何ぞや。

2002年3月17日
えーっと。
いろいろありまして。
ただいまの課題。
「ロックって、なあに?」

てゆーかー(笑)、
ジャンルわけ、ってよくわかんないよう。
ワタシの好きなあんびえんとのコーナーでも、8ビートや16ビートはいってたりするしー。

きっかけは、某インタビューで。
日本語のロックはロックじゃないとか。
正しい日本語を使おう会普及委員(ないぞ)の私としましては(笑)。
えーっと。
日本語ロックあり派。

ロックの歌詞に意味を求めるかどうかってのは、
個々人の判断なんだよねー。
だから、求める人とそうでないひととの間には溝があるだろうし。
洋楽ロックこそ真のロックであると思っている人は絶対日本語ロックなんて認めないだろうし。
…悲しいんだけどさ。

でも、そういうひとがみんながみんなちゃんとロックの歴史を知っているかどうかって…
それを言うと、日本人はロックなんてできなくなるよね。
だって、やっぱりイギリスの階級社会やアイルランド問題があってこそのロックだと思うから。
そこの文化を知らない日本人がロックをやるなんてそりゃほんとは無理ってもので。

ネイティヴ至上主義になっちゃうのかなあ…
特にコトバはそう。

日本人のヒトが英語で歌う。
そりゃ向うで育って向うの耳を持っているのならまだしも。
RとLの音の区別がつかないようなひとが英語でうたうのはほんとはマズイと思うのね。
…だから、日本人カーロミオベン歌えないし(笑)。
それよりも自分の持っている日本語でちゃんと伝えたほうがいいと思うの。
…それも日本で活動するならば。
イマドキ、日本語でも歌が聞き取れなくなってる。
歌はコトバを伝えるものでなくなってきている。
でも、やっぱりコトバが聞き取れると、その歌の意味の伝わりは大きくなる。
と、思うの。
コトバが伝わらないってことは、声が音としてしか伝わらない、ってことだから、コトバである必要がないってことだよね。
…だから、日本人の前で英語で歌うのは、コトバを伝えたいんじゃなくて、音を伝えたいんだと、解釈したい。

じゃあなんでコトバついてるんだろう。
むー。
じゃあライヴのMCも英語でやってよ。
そしたら「完璧な」英語ロックに近づくよ。

コトバの問題、文化の問題。
え?もしかして、歌と音楽とは別物にしなきゃいけないの?
あらららら。
歌文化と音文化。
あらららら。
困ったぞ。

確かにね。
コトバと音楽ってのは密接につながっていて。
やっぱりシャンソンはフランス語がいいなーとかって思うよね。
でもフランス語でロックやってもそれはそれで面白いんじゃないかなーって(笑)。
日本語でシャンソンやってもエキゾチックに…ならないか?(笑)。
でも、そこに異文化の融合とゆーか交流があって面白い、と思うのね。

昔日本語ロックがおっけーかどーかで論争があったけど。
まあ、あんまり意味はありません。
それこそ個々人だから。
でも、どちらをも否定はしてほしくないなあと思うのです。
否定は悲しいのです。
肯定しろとまではいいませんが、全否定ってのは、自分の可能性を閉ざすことになります。

いろんなことに挑戦してみたいし挑戦して欲しい。
若いヒトには特に。
日本語ロックで米英に乗り込んで行って見てもいいじゃん。
もちろん英語ロックでもね。
でも、どっちにしろ叩かれるのは覚悟しなきゃね。
どんなにいいものを持っていても、きっと叩かれる、それを覚悟して。
まあ、それは本場でもここでもいっしょだけど。

あああ、ハナシが堂堂巡りだわ。
でも、ちゃんと自分の主張を書きたいというか、まとめたいので、
ここの日記を下書きメモにしたいと思います。

この項続く(笑)。

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